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2018年6月20日水曜日

 間違えた問題はあなたの財産!(間違えることをおそれるな!)



どうも個別指導スプリングの塾長です。









今日は間違えることは恥ずかしいことじゃないよというお話


勉強を頑張っているのに点数が上がらない。

塾へ通い始めたけど点数があがらない。

今回はそんな方に確認してもらいたいことがあります。

それはあなたの間違えることに対する態度です。

こないだケアレスミスに対してのテスト後の取り組み方について書きました。

それがこちら。



ただし、今回は間違えた問題に対してどのようにアプローチするかのお話ではありません。

そもそも、間違えることをどのように考えているのかというお話です。

自分では頑張っているつもり、親御さんから見て頑張っているように見える、でもテストの点数が上がらない。

そんな方に多く見られるのが、間違えるということに対する誤った認識です。

それが間違えることを恥ずかしいことだと考えるということ。

間違いを指摘されると叱られているように感じるのでしょうか。

それとも笑われてバカにされているように感じるのでしょうか。

なぜ?

間違えることは駄目なことなの?

そのことについて書く前にまずはそもそも間違えることをなんとも思わない困ったタイプの問題点を。



テスト勉強は間違えてから始まる


極論を言いますとね…

テストで点数を上げたかったら、正解した問題には価値がない。

だってそれ今やらなくてもテストのときに解けた問題でしょ?

はい、極論ですよ(笑)

わかりやすくするためにこんなことを言っています。

もちろん正解した問題に全く意味がないとまでは言いません。

あーだこーだ言いながら試行錯誤の上に解答し、それが正解だったならばそこで力がついたと言えるわけです。

ですが、それならば、テスト中あーだこーだ言いながら試行錯誤の上に解答すれば正解できたわけでしょう?

ただもちろん、それではテスト中時間が無くなる可能性がありますよね。

なら私にとってはその問題は正解ではない。

少なくとも正解として丸なんてつけない。

間違えた問題と同じように処理します。

なぜならテスト中、時間が足りなくなってできない可能性があるからです。

今やるべきことはそれをスイスイ解けるようにすることです。

では何も気にすることなく「最初から」スイスイ解けた問題に価値はあるのか?

すくなくともテスト勉強をする上ではどうでしょう?

それを考えれば丸をつける時間すらもったいないとは言えないでしょうか?

大切なのは間違えた問題。


間違えた問題をできるようにするから点数が上がるという当たり前に気付こう

この当たり前を当たり前だと認識できない子が増えているような気がします。









間違えることを何も気にしないタイプ


学校のワークだろうが、塾のテキストだろうが、ちゃんと解くとしましょう。

これだけで一見ちゃんと勉強しているように見えますよね。

でもテストの点数が上がらない。

ここまでやっているのに点数が上がらない生徒がいるならまずこのタイプを疑ってみましょう。

答え合わせをしないタイプ


そもそもやりっぱなしで答え合わせをしない子。

これはわかりやすい。

できているかどうか全く気にしていない。

提出物だから、宿題だから解いているだけ。

できないことをできるようにしようなんて気は最初からない。

まさに形だけ勉強をしているタイプ。

中身がないのでいくらやってもできないことができるようにはなりません。

よって点数が上がりません。




答え合わせを最後にまとめてやるタイプ


このタイプも形だけといって良いでしょう。

「終わらせる」ということを目的にしており、テスト勉強だなんて思っていません。

もしも最初の基本問題のページで重要なことを理解しておらず、その後の問題を間違った解き方で解いていたとすればどうなるでしょう?

もう最悪ですよね。完全なる時間の無駄。

もしも1ページずつ解いては丸付けでできているかを確認していさえすれば人生をもう少し有意義にできたはずです。




ちゃんと丸付けをして赤で正解を写すタイプ


このタイプを見てちゃんと勉強していると考える人ははっきり言ってやばい。

赤で答えを写す?

写すんですか?

それが勉強なんですか?

(イ)と書いているところをバツにして(エ)と写すのが勉強ですか?

で、何が理解できると?

確かに正解は大切です。

ですがそこに、「自分がなぜ間違えたか」「そしてどうすればその正解を導き出せるか」という思考がなければこんなものはただの作業です。

まったく意味がない。

ただそうやって勉強しろと言われたことを忠実に守っているだけの作業員です。

これでもやはりできるようになりません。

このタイプは一見真面目そうに見える分周囲が実は全く勉強になっていないことに気が付かず厄介です。



計算式も消しちゃうタイプ(番外編)


これは「間違える」ということではないのですが、なにかノートをキレイにするという全く理解できない美的センスの持ち主という点では同じです。

例えばノートの余白書かれた筆算などをキレイに消す子がいます。

テストの答案用紙ならたしかにそうですが、間違っても勉強で使っているノートやテストの問題用紙の計算式を消すなど言語道断です。

これは一度、学校の先生から指示されたと言う子がいましたが、おそらく今流行りの勉強をしたことがないのに先生になっちゃったかわいそうな人です。

今すぐ辞表を書くべきですね。(深掘りはしません。)

良い子のみなさんは絶対に消さないで。

まず消す時間が無駄。

それに答えが間違っていた際にどこで間違っていたか検証できなくなる。

逆にどの計算がどの問題のものなのか自分ではわかるように書くくらいのほうが良いです。




まとめると間違えた問題をとにかく大切にしなければ勉強にならないというわけです。








間違えることを恥ずかしがるタイプ


今日の本題はこっち。

丸付けのとき間違えた答えを消しゴムで消すということの意味



質問:答え合わせのとき、あなたは間違えた答えをどうしますか?

ここで、「消しゴムで消す」と答え人はヤバイ!

なんで大切な財産となるはずの間違えた答えを消してしまうんでしょう。



個別指導で教えていると、生徒がおかしな答えを書いていることがあります。

そのときに、「あっ」とか言おうものなら速攻でその答えを消してしまいます。

まだ間違えているよとも言っていないのに。

まさに証拠隠滅。

間違えた答えを消しゴムで消すなど絶対にあってはならないことです。

なぜかって?

だってどんな間違えをしたかわからなくなるじゃないですか。

本人にとってはもちろん、教えている側からしてもどうやって間違えたかを見るのが非常に大切です。

でもそれをしないし、させない。

先程の間違えを気にせず放置してくれていれば教える側からすればすぐわかる。

だから修正することがまだ可能。

ですが、証拠隠滅されてしまうともうお手上げです。

それに、どうやらこのタイプ、なんか自分では答えを消したことで間違えたという事実まで消せると思っている気がするんです。

その後、解説してもらい、正しい答えを聞くとさっさとその答えを写し、次の問題へ行こうとする。











・・






・・・











正解しか求めない。

自分が答えを出せるかどうかは関係ないんですよね。

その場がおさまればそれで良い。

もしかしたらこれで本当に自分ができるようになったと考えている節すらあります。

やはりこのタイプも間違えることから学ぶ姿勢は皆無です。




間違えることへの恐怖が生む困った勉強への意識



それどころか極度に間違えることを嫌う、いや、怖がるんですよね。

間違いなくどこかで刷り込まれた恐怖なんでしょう。

小学校の授業中に当てられて間違えて笑われたんでしょうか?

それとも先生に叱られたんでしょうか?

授業中、問題を考える前に「当てられたらどうしよう」が来る。

いつしか答えは何だろうと考えることをやめてしまったのでしょう。



個別指導でも意地でも答えない子がいます。

ヒントを出そうが何をしようが、もう頭に浮かんでようがなんだろうが答えない。

先生が根負けして答えを言うまで待つ。ひたすら待つ。

答えをいうと、「あ~それなら分かっていた」みたいなことを言う子もいますが(笑)

先生はこの質問に対してどういう答えを返してくるかを待っているのです。

ですが間違えることを怖がるあまり、何も答えないという手段を取る。

すると先生はどこまで理解しているか、どのように理解しているかがわからないまま授業を進めることになります。

自分で勉強しているときも同じです。

こういう子は、最後まで答えが見えるまで手を動かしません。

ちょっと試しにやってみるという実験的なことができません。

自然と解答欄に空白が多くなります。

解けないってなるハードルが低すぎる。

なんか目の前にバリアー張ってしまって何も入らないし出てこないようにしてしまう。

でもそれはあくまで恥ずかしい思いをしたくないから。

そこに勉強でできるようにしたいという考えはない。

だってこんなことをしたら絶対にある日バレるんですから。

きっちりと自分がどれほど分かっていないかを数字で突きつけられるテストの日が…。




恥ずかしいということを言い訳にはしていないか?


確かに学校の授業中、みんなの前で当てられて答えられなかったら恥ずかしいでしょうね。

私だって嫌です。

でもね、じゃあなんで自分の勉強のときも同じようにしているの?

誰も見ませんよ、そのノート。でも結局同じようにやっていますよね。

それになんのために塾来ているの?

特に個別指導よ。

せっかく自分がわからないところを解決してくれる場なのにそこでできているふりをしてどうしたいの?

先生にいいカッコしたいの?


じゃあさ…


なんで…


恥ずかしげもなくあんな点数テスト持ってくるんだい?



いや、点数が悪いのを笑っているんじゃありませんよ。

恥ずかしがるところを間違っているのが笑うしかないんです。



学校での勉強において(大きな意味でいえば)正解は一つですが、間違え方は何通りもある。

ひとりひとり間違え方は違う。

間違えるところは自分が理解できていないところ。

勉強ができない子って自分ではどこを分かっていて、どこが分かっていないかがわからないんですよね。

それを教えてくれるのが間違えた問題。

間違えはあなただけの最高の先生

というわけです。

それは生徒にとっても先生のとっても同じです。

そんな素晴らしい先生を無視して、ないがしろにするなんて…












・・






・・・














スプリングは間違えることを恥とする文化と戦う



ということで子どもたちの間違えることを恥ずかしいと思う気持ちをぶっ飛ばしたい。

子どもたちにこんな感覚を植え付けているのは間違いなく我々勉強を教える大人たちだ。

そこでこんな企画を考えてみた。

スプリングの新企画










・・








・・・












はいそうですね。

しょーもないですね。

こんなことで間違えることを恥ずかしがることをやめてくれませんよ。

間違えることを恥ずかしがっている子がこんなしょーもない企画に応募するなんてありえない。

わかっております。

私も別にツイートするのが目的でもない。

でも、もし応募してくれる子達がいたとしたらそれはきっと勉強ができる子達のほうだと思います。

彼らは間違えることを恥ずかしいとは思っていない。

恥ずかしがっていたら道場で質問できませんから。

間違えることを恥ずかしがるのではなくて、テストでできないのが嫌なだけ。

できないのが嫌だからちゃんと聞こうとする。

そんな空気を道場という場でもっと創っていきたい。

実際この企画を発表したら結構「応募する~」といってくれました。

この企画はスプリングでは間違えることを恥ずかしいこと、失敗だなんて誰も思っていないよという意思表示

実際これまでにツイートしたこの答えを書いた子。



この子は、もうすでに社会が得意科目になっています。

なんかこういうのをツイートすると、生徒の失敗を笑いものにしているとか思う方もいらっしゃるようですが、生徒と一緒にやってて爆笑したものを生徒の許可とってやっていますのでご安心くださいね。

塾で勉強しているときに間違えたって何も落ち込む必要はない。

大事なのはその間違えをしっかり認識しできるようにしてやるという気持ちです。

私達が叱るのは間違えることを気にもせず形だけ勉強していることです。

早くそっちが恥ずかしいことだと思ってくれもらいたい。

そのためにも時間をかけ何度も何度も語りかけていくしか方法はないと思っています。

でももしできるなら、この新企画で間違えることへの恐怖心を笑い飛ばしてやりましょう。

フォローしていただいている方は是非いいねを押してあげてくださいね。


(ちょっぴり新しく買ったガチャガチャを使いたいというのもある笑)





ま、企画はどうでもいいので、少しでも間違えることへの認識を変えてもらえると幸いです。




今日はこのへんで



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